明日も生きたい日記

うつ病と適応障害を患ったアヤセが明日生きたいと願うブログ

幸せって何? 結婚って何?

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大変ありがたいことに、先日結婚した。役所に届け出て無事受理されたので、法的に嫁と家族になった。

 嬉しかった。幸せを感じた。でも期待していた幸せには随分と足りなかった。結婚したら、驚くほどのハッピーが襲ってくるのかと思いきや、そんなことはなかった。

 結婚、私にとってとても意味のある存在だった。新卒で入った銀行をうつ病で辞めた。もしうつ病にならずそのまま元気に銀行で働き続けていたら、今頃は課長代理くらいの役職について、年収は800万円台後半くらいで、マイカーを持っていて、そして結婚をしていて、子供もいたりして、そろそろマイホームでも買おうかと家族で話していたのだろう。このような幸せを絵に描いたようなレールから私は落ちた。この先もう手に入れられないと絶望した。

 しかし、幸運なことに、私の病気に理解を示してくれる女性、現在の嫁と出会うことができた。そこで、幸せのレールにはもう戻れないけれども、結婚だけは手に入れられる可能性が見えてきた。唯一私が手に入れられる可能性のあるレール上の幸せ、それが結婚だった。

 なんなら、結婚すれば、それが私をうつ病に追い込んだ会社や人に対するささやかな復讐になると思っていた。

 

誤解して欲しくないのは、嫁のことを結婚のための道具のように思ったことは一度もない。出会って、会話をし、恋に落ち、愛する気持ちを思い出し、そして今も愛している。結婚しようと思ったのは、嫁と家族になったその延長上が光輝く未来に感じたからだ。

 

 そう、婚姻届けを出した日、嬉しかった。ついに目標を成し遂げたという達成感に包まれた。嫁と法的に家族となれたことに幸せを感じた。でも、前述の通り、体いっぱいの幸福感に満たされたかといえば、そうではなかった。

 私は幸せとは何か分からなくなった。ずっと幸せとは何かについて考え始めてしまった。

 

 この関係を何と言えばよいのだろうか、私の中では先輩的な人にこの件を相談した。幸せを感じられないんです、これはうつ病で感度が鈍っているからなのでしょうかと。そしたら彼は、もう少し視野を広げて、生活を観察してみてはどうかと提案してくれた。

 嫁と同棲を初めてもう半年が経つ。嫁との幸せを感じた時のことを思い出すと、私が作った料理を嫁が美味しいとパクパク食べてくれた時や、一緒に買いに行った家具が家の隙間にスポッとはまった時とか、おやすみなさいと言って電気を消す時とか、ぼーっとした頭で一緒に朝食をとると時とか、いってらっしゃいと嫁を送り出す時とか、夕食を食べながらその日あった愚痴を言いあう時とか、そういう時が思い浮かんだ。

 

 たぶん、幸せって、何か手に持てるような固いものではなくて、流れの中にふと浮かび上がってくる瞬間や、その流れそのものを指すのではないだろうか。

 私がずっと考えていた幸せは、賢者の石みたいな、それを手に入れれば不老不死が手に入って全能感が脳を支配するようなものだったのかもしれない。

 

 そんなことに気づいたら、今度は嫁に対する感謝の念が浮かびあがってきた。

 結婚とは、お互いに思いやりを持って、感謝をし合い、そうして毎日の幸せを積み上げていくことなのかもしれない。まだ結婚して数日しか経っていないが。

 

 幸せとは、と考え始めるとどんどん深くなっていって、なかなか答えが出てこない。幸せについての専門の書籍があるくらいだ。いち一般人の私には考えても答えは出てこないのは道理だ。でも、ふと周りを見渡すと、幸せってけっこう漂っている。そういうふわっとしたものを見逃さないように、これからは過ごしていきたい。

 

 もう少し幸せについて分かることがあったら、ここに書き記しておきたい。

 あと、健常者の幸せと障害者の幸せの違いについても考えていることもある。これも考えがまとまったら書き記したい。

 

 とりあえず、毎日丁寧に生活を観察しようと思う。