明日も生きたい日記

うつ病と適応障害を患ったアヤセが明日生きたいと願うブログ

うつ病と向き合う

 うつ病になったのは24歳。それから6年が経った。

 辛い思い、悲しい思い、悔しい思い、たくさん経験した。日本には一億人の人間がいるのに、なぜその中で私がうつ病になってしまったのだろうか。なぜみんなと同じように仕事をして、遊んで、暮らせないのだろうか。このような思いをずっと抱えて過ごしてきた。

 27か8歳の誕生日、夕飯を食べ終えると母がケーキを持ってきてくれた。誕生日おめでとうと言ってくれた。泣きじゃくってしまった、自分が惨めで惨めで仕方がなかったから。母は色々と声をかけてくれたけれども、何も耳に入ってこなかった。健常者と同じように生きることができない自分を責めた。健常者ではない自分を責めた。大学の同期の彼や、新卒で就職した彼女のように、なぜ自分は耐えられなかったのか。壊れてしまったのか。満足に仕事もできず、結婚もできないから孫も見せられない、この先の人生全く光が見えなくて、母に申し訳なかったし、自分も悲しかった。泣きながらケーキを頬張った。味は覚えていない。

 

 自分が精神を病む前は、典型的な「うつ病は甘え」論者だった。小学生のころ、不登校の同級生がなぜ学校に来れないのか理解ができなかった。大学の部活の先輩にうつ病の人がいて、体調が悪い時は来られなかった。当時はその彼のことを心配したことがなかった。就職活動をしている最中も、銀行員にうつ病罹患者が多いことは知っていたが、それが理由で志望動機が揺らぐことはなかった。合わなかったら辞めればよい、その程度にしか思っていなかった。

 社会人1年目までの私にとって、うつ病とは全く別の世界の人たちのことだった。

 それが、あっという間に、その別世界の人間になってしまった。最初は全く理解ができなかった。医者にもらったこの薬を飲んでしばらく休んだらすぐ治ってまたバリバリ仕事ができるんだと思っていた。思っていたというか、そうじゃなければ困るのだ。うつ病である自分を認めることができなかったから。でも、なかなか治らない。どんどん時間だけが過ぎていく。

 

 うつ病と向き合えるようになったのは、今の心理士と出会ってしばらく経ってからだ。長い時間はかかるけれども必ず治る日が来ます、最初の面談の時に言われた。けれども自殺未遂直後で人生に絶望していた私の耳には届かなかった。しかし、対話を通して色々と取り組んでいくうちに、一縷の望みが見えた瞬間があった。その時、私の人生はまだ捨てるには早いのではないかと思うことができた。

 うつ病の人には典型的な思考パターンがいくつかあって、その中でも私は「0か100か思考」が強く出ていた。一日を過ごし、今日もダメだったと絶望する。その繰り返し。でもよく観察すると進捗は0ではない。昨日はベッドから起きられなかったが、今日はお風呂に入れた。次の日は食事が美味しいと感じられた。毎日何かしら、1や0.5進むときがある。無い時もある。しかし、それをつぶさに観察する。いきなり100になることは無い。それを意識して過ごしていく中で、今自分は1進んだと思う瞬間があった。そこから、もしかしたら来週には10になって、来月には20になって、1年後には50に乗るかもしれない、そう思えることが多くなった。私の「0か100か思考」は緩んでいった。

 今は、会社を一日休んでしまっても、自分が0に戻ってしまったとは思はなくなった。また1ずつ積み重ねていこう、そう思えるようになった。

 うつ病になって、思考が柔軟になったと思う。その典型が「0か100か思考」だ。これは自分にだけではなく、他人にも、仕事にも生かされている。他人がミスをしても、その人が全くダメだとは思わなくなった。もしかしたら、プライベートでうまくいかないことがあったのかもしれないし、たまたま寝不足だっただけなのかもしれない、そう思うことができるようになった。仕事がうまくいかなくても、振出に戻ってしまったわけではない、そう思えるようになった。

 

 うつ病はもう自分と切っても切り離せない存在だ。治るかもしれないけれども、治らないかもしれない。うつ病は私から多くのものを奪っていった。でも、きっとうつ病にならなかったら知ることができなかったことも多いはずだ。今はそう思える。私は、優しくなった。私は、自分にも他人にもこれからずっと優しく生きていきたい。それが、私がうつ病になった恩恵なのかもしれない。

 

 なんでこんなダラダラと辛気臭い文章を書いているかというと、おこがましいかもしれないが、辛い状況の人がたまたまこの文章を読んで、何かを見つけてくれればと少し思っているからだ。辛い状況の人が全くいないことを願うばかりではあるが。

 それよりも大きい理由は、私にまたいずれ絶望する日が来るかもしれないからだ。うつ病はそういう可能性を秘めている。その時、この文章を思い出して、また一歩ずつ歩けるようになって欲しい、そんな願いを込めている。