明日も生きたい日記

うつ病と適応障害を患ったアヤセが明日生きたいと願うブログ

上半期の振り返り

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2019年上半期」

6月が終わったので、軽く上半期を振り返ってみようと思う。2~3行程度の簡単な日記を毎日書いているので、それをもとにしてみる。

 

 

  • 1月

 SADSが高い日が多かったらしい。「怖い。欠勤」と書いてある日が散見される。「SADSが高い理由が分からない」と相当苦しんでいる様子。その中でも定期的に散歩をして気分を紛らわしているようである。

 この月あたりからアメリカとのやりとりがスタートしたようである。

 

  • 2月

 2月6日(水)にサカナクション神奈川県民ホールでのライブに参加しているようである。とても楽し気な字。そして翌日は疲れで朝起きられていないようだった。

 従妹の結婚式に参加している。大層なダメージを負ったようだ。

 心理士からは疲労のコントロールに注意しなさいとのアドバイスをもらっている。

 ちょまどさんのキラキラツイートに食あたりしてしんどそうな日があった。この日を境にミュートさせて頂いた。あまりにもまぶしすぎるので。

 人生で初めてオフ会的なことをした。超超超楽しかった。

 

  • 3月

 散歩の途中、なぞに外国人に話しかけて「英語の必要性を感じた」と日記に書いている。いやもうそのずっと前から英語の必要性はあったぞ、という感じ。

 この月からは恐怖や不安による欠勤がかなり減っている。欠勤する理由は無気力によるもの。

 新居(今の家)探しを月の終わりごろから初めていた。月末には本申し込みをしている。この時は物件が想定していたスケジュールでなかなか決まらないことが原因で、かなり落ち着かなかったことを覚えている。

 

  • 4月

 アメリカとのやりとりがすっかり私のタスクになっている。グーグル翻訳先生ありがとうございます。

 決算、人事関連、そしてくそ面倒くさいアメリカが重なって、毎日忙しそうである。

 しかし、欠勤だけでなく、遅刻や早退もほぼなくなっているようである。

 心理士からは、責任のある仕事を任されてそれが「行動活性化」につながったので毎日仕事に行けて抑うつ状態が減ってきたのではないか、との見解。但し、引き続き疲労のコントロールの重要性を説かれる。

 新居のものを色々と買い揃え始めている。それはとても楽しそうである。

 月末に膝を痛めている。

 この月から頓服としてソラナックスを処方してもらってる。

  • 5月

 GW10連休、静かに過ごしていたみたいだ。日記からは体調が良さそうには見えない。大学同期の結婚式に出席しているが、辛すぎて挙式は欠席して、披露宴からの参加のようだ。ソラナックスも1錠使っている。

 4月に続き、決算、人事関連で毎日忙しそうである。下旬までこれが続く。

 ついに引っ越しである。足りない家具とか雑貨を見て回った。仕事の色々とも重なって、かなり毎日ヘロヘロだったことを覚えている。そんな中、平日はほぼ毎日夕食は自分で作った。

 酒が飲めないのにラジオ番組の飲みイベントに参加している。久々にお酒を飲んで吐いた。しかしイベント自体はとても楽しかったと記憶している。

 

  • 6月

 上旬に久しぶりに抑うつの波が来て、3日連続で休んでいる。波はもう、しかたがない、どうしようもない。どんなに注意してもやってくる。しかし、波が来る間隔がだいぶ広がったことを実感した。毎週波が来ていた昔に比べればはるかな進歩だ。

 普段はしない商談をしているようである。商談は押したり引いたりして自分にとって良い条件を相手から引き出す、または相手に飲み込ませることだ。この駆け引き、できなくはないんだけれども激しく精神的体力を消耗するから、本当はやりたくない。でも会社にとってこの商談はとても大きなものだから、頑張った。

 心理士から、状態が上向いてきたのでカウンセリングの間隔を伸ばしても良いのではないかとの提案。ひと月ごとだったものを6週間ごとに少し伸ばした。

 プライベートでは新居に必要なもの、鍋とか、ざるとか、そういったものをそろえに買い物に出かけることが5月に引き続き多かった。

 

 

 2019年上半期、こうやって振り返ってみて総括すれと「進歩」だと感じる。とても嬉しい。

 ・不安や恐怖による欠勤が著しく減ったこと。予期不安が無いのは本当に楽だ。

 ・仕事で任される業務が増えたこと。

 ・実家を出たこと。

 この3つが大きいだろうか。

 下半期はどうやって過ごそうか。決着をつけなければいけないこともあるし、でも頑張りすぎて疲労がたまると抑うつが出てしまうから、やはり毎日を丁寧に着実に過ごしていくしか道はないのかもしれない。その道の先に幸せな人生が待っているかは分からないけれども、一般的な人が通る道から外れてしまった私は、自分の道を歩いていくしかないのである。