明日も生きたい日記

うつ病と適応障害を患ったアヤセが明日生きたいと願うブログ

魂が家出した

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 お風呂から上がり、ベッドの上で目を閉じ団扇で扇いでいると、恋人が、魂が抜けてるね、魂が家出しちゃったね、と言った。

 

 魂が家出した、こんな的確な言葉があったのかと驚いた。

 

 まず、魂についてだが。医師や心理士との面談では、抑うつ状態の波のことを説明するのに、何かをする気力が無い、無気力状態と表現している。相手もそれで分かってくれている。でも、なんかしっくりこないんだよな、とずっと思っていた。

 19日(金)からずっと会社を休んでいる。抑うつ状態。でも、昔に比べれば辛くはない。昔はもっと死にたい、消えて無くなりたい、というような希死念慮がモリモリ出ていた。今は、会社からの信用失墜とか、道行くサラリーマンのように働けない情けなさとか、社会にとって役立たずな自分とか、考えることはたくさんあるけれど、どこか他人事のような、良く言えば客観的な感じで捉えることが多い。一方、レジャーに関しても、どこか自分の事ではない感じがして、例えば映画を見ても、ふーん面白い作品だったな、というような。あ~~楽しかった〜〜!!とはならない。まるで評論家のような。昨日の夕食も、奮発して買ったパスタソースを使って作って、美味しかった。でも、美味しいという感動が無かった。

 そう、感動が無い。感動、心が動くという点で、魂という表現はとても的確だと思う。

 

 それから、家出した、という表現も鬱の波の状況を良く表している。

 私にとって会社は居心地の良い場所とはまだ言えず、戦いに行く場所だ(多くのサラリーマンがそうだと思う)。だから朝起きたら、よし今日も会社に行くぞ!とテンションを上げる。覚悟を持ってエンジンをかけるようなイメージだろうか。鬱の波が来ると、そのテンションが上がらない。エンジンがかからない。ほとんどのサラリーマンや自営業の方々も、同じくテンションが上がらない日でもちゃんと出勤しているだろう。二日酔いとか、夫婦喧嘩したとか、嫌なプレゼンが待ってるとか、テンションが上がらない日もあるだろう。それでもきちんと決まった時間に家を出て仕事をはじめる。しかし、私はそもそも仕事に行くどころか、ベッドから起きられない。食事も摂れないし、トイレにも行けない。テンションが上がらないというよりも、テンションが無いと言った方が正確かもしれない。そして、残念なことに、この波が来る予兆みたいなものは無い。朝起きると、もうすでに波に飲まれている。

 この、予兆の無さ、自分でコントロールできないところが、自分の子供が突然家出した様な様子ととても似ている。私には子供居ないから想像だけれど。自分が子供の頃だった時のことを思い出してそう感じる。

 

 魂が家出してる、良い表現だ。そこまでネガティブさが無くて、家族のドタバタのようなちょっとほっこりする様子もあって、良い。

 いったい私の魂はどこをふらふらしているのだろうか。困った。これでは職を失ってしまう。

 

 恋人が、魂の捜索願を出さなきゃね、と言って部屋の電気を消した。