明日も生きたい日記

うつ病と適応障害を患ったアヤセが明日生きたいと願うブログ

うつ病と向き合う

 うつ病になったのは24歳。それから6年が経った。

 辛い思い、悲しい思い、悔しい思い、たくさん経験した。日本には一億人の人間がいるのに、なぜその中で私がうつ病になってしまったのだろうか。なぜみんなと同じように仕事をして、遊んで、暮らせないのだろうか。このような思いをずっと抱えて過ごしてきた。

 27か8歳の誕生日、夕飯を食べ終えると母がケーキを持ってきてくれた。誕生日おめでとうと言ってくれた。泣きじゃくってしまった、自分が惨めで惨めで仕方がなかったから。母は色々と声をかけてくれたけれども、何も耳に入ってこなかった。健常者と同じように生きることができない自分を責めた。健常者ではない自分を責めた。大学の同期の彼や、新卒で就職した彼女のように、なぜ自分は耐えられなかったのか。壊れてしまったのか。満足に仕事もできず、結婚もできないから孫も見せられない、この先の人生全く光が見えなくて、母に申し訳なかったし、自分も悲しかった。泣きながらケーキを頬張った。味は覚えていない。

 

 自分が精神を病む前は、典型的な「うつ病は甘え」論者だった。小学生のころ、不登校の同級生がなぜ学校に来れないのか理解ができなかった。大学の部活の先輩にうつ病の人がいて、体調が悪い時は来られなかった。当時はその彼のことを心配したことがなかった。就職活動をしている最中も、銀行員にうつ病罹患者が多いことは知っていたが、それが理由で志望動機が揺らぐことはなかった。合わなかったら辞めればよい、その程度にしか思っていなかった。

 社会人1年目までの私にとって、うつ病とは全く別の世界の人たちのことだった。

 それが、あっという間に、その別世界の人間になってしまった。最初は全く理解ができなかった。医者にもらったこの薬を飲んでしばらく休んだらすぐ治ってまたバリバリ仕事ができるんだと思っていた。思っていたというか、そうじゃなければ困るのだ。うつ病である自分を認めることができなかったから。でも、なかなか治らない。どんどん時間だけが過ぎていく。

 

 うつ病と向き合えるようになったのは、今の心理士と出会ってしばらく経ってからだ。長い時間はかかるけれども必ず治る日が来ます、最初の面談の時に言われた。けれども自殺未遂直後で人生に絶望していた私の耳には届かなかった。しかし、対話を通して色々と取り組んでいくうちに、一縷の望みが見えた瞬間があった。その時、私の人生はまだ捨てるには早いのではないかと思うことができた。

 うつ病の人には典型的な思考パターンがいくつかあって、その中でも私は「0か100か思考」が強く出ていた。一日を過ごし、今日もダメだったと絶望する。その繰り返し。でもよく観察すると進捗は0ではない。昨日はベッドから起きられなかったが、今日はお風呂に入れた。次の日は食事が美味しいと感じられた。毎日何かしら、1や0.5進むときがある。無い時もある。しかし、それをつぶさに観察する。いきなり100になることは無い。それを意識して過ごしていく中で、今自分は1進んだと思う瞬間があった。そこから、もしかしたら来週には10になって、来月には20になって、1年後には50に乗るかもしれない、そう思えることが多くなった。私の「0か100か思考」は緩んでいった。

 今は、会社を一日休んでしまっても、自分が0に戻ってしまったとは思はなくなった。また1ずつ積み重ねていこう、そう思えるようになった。

 うつ病になって、思考が柔軟になったと思う。その典型が「0か100か思考」だ。これは自分にだけではなく、他人にも、仕事にも生かされている。他人がミスをしても、その人が全くダメだとは思わなくなった。もしかしたら、プライベートでうまくいかないことがあったのかもしれないし、たまたま寝不足だっただけなのかもしれない、そう思うことができるようになった。仕事がうまくいかなくても、振出に戻ってしまったわけではない、そう思えるようになった。

 

 うつ病はもう自分と切っても切り離せない存在だ。治るかもしれないけれども、治らないかもしれない。うつ病は私から多くのものを奪っていった。でも、きっとうつ病にならなかったら知ることができなかったことも多いはずだ。今はそう思える。私は、優しくなった。私は、自分にも他人にもこれからずっと優しく生きていきたい。それが、私がうつ病になった恩恵なのかもしれない。

 

 なんでこんなダラダラと辛気臭い文章を書いているかというと、おこがましいかもしれないが、辛い状況の人がたまたまこの文章を読んで、何かを見つけてくれればと少し思っているからだ。辛い状況の人が全くいないことを願うばかりではあるが。

 それよりも大きい理由は、私にまたいずれ絶望する日が来るかもしれないからだ。うつ病はそういう可能性を秘めている。その時、この文章を思い出して、また一歩ずつ歩けるようになって欲しい、そんな願いを込めている。

週明け早速の欠勤

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    下記の記事で週5日ちゃんと働きたいと公言したが、今日週明け月曜日、さっそく欠勤してしまった。

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 まず、毎朝7時に起きるのだが、5時半に起きてしまった。不眠の私は一度中途覚醒をしてしまうと、なかなか寝付けない。今日も寝ようとしたけどベッドの上で目をつむって横になっていたら、もう7時になっていた。

 気力が無い。ベッドから起きて顔を洗うとか、服を着るとか、そういったことを行うエネルギーみたいなものが足りなくて、出勤時間までベッドから出られなかった。

 ようやく今コーヒーを飲みながらケータイをいじったりできるようになってきた。

 今回の欠勤の原因は土日の過ごし方ではないかと思う。20日(土)は15時くらいまで寝続けていた。21日(日)は13時近くまで寝続けてしまった。これで完全に生活リズムが狂ってしまった。あと、家の外に一歩も出なかった。歩くとかそういうレベルの軽い運動も重要なのだが、一切していなかった。これも生活リズムを狂わせる。

 精神疾患になった人がまず病院に行くと、生活リズムを整えましょう、と必ず言われるはずだ。うつ病の人も、統合失調症の人も、双極性障害の人も、必ず言われるはずだ。それだけ生活リズムというのは私たちのような人々には重要なものだ。

 ここ1か月くらいの日記を見返してみた。週明け欠勤している日の前の土日の過ごし方が良くないことに気づいた。ずっと気をつけていたのだけれども、少し気が緩んでしまったのかもしれない。いや、気が緩んでいた。

 心理士からは5月、6月はイレギュラーが多いから仮にテンションが上がっても極力抑えて抑えてと言われていた。実際かなり慎重に毎日を過ごしていた。起きる時間、食事の時間、食事の内容、寝る時間、休日の過ごし方。それが、7月に入って休日の過ごし方を失敗していた。

 今週カウンセリングがある。今の心理士はとても信頼しているので、今回も包み隠さずこの6週間のことを話そう。そして対話を通じて出口戦略を見つけたい。

 

 少し体と頭が動くようになってきたので、覚えているうちに今朝起こったことを書き留めたくなってこのブログを書いている。

 明日は、無事に出勤できるように、午後は丁寧に過ごそうと思う。

身近な幸せを大切に

 うつ病になって人生のレールからドロップアウトした時から、レールに乗っていた場合の幸せを渇望して、それがもう一生涯手に入れられないことだと気づき絶望する、こんなことを繰り返していた。

 しかし、今はそういうことはほとんど起きなくなった。ちょっと頑張れば手に入る幸せ、明日の幸せ、来週の幸せ、遠くても来月の幸せ、そういった身近な幸せを意識できるようになった。とても心が楽だ。

 

 

 自殺未遂を犯して精神病院の閉鎖病棟に閉じ込められた。経過順調となって退院してかかりつけ医のところに行く。医師から、薬はあくまで症状を緩和して毎日を過ごしやすくするためのもので、根本的にうつ病を治療するならあなたにはカウンセリングが必要だと言われた。そこで現在の心理士を紹介してもらう。うつ病に罹患してからの一番のターニングポイントは、きっとこの心理士との出会いだろう。

 心理士と最初に取り組んだのは認知行動療法認知療法だ。行動や思考を紙に書いて観察し、認知の歪みをきれいにしていく作業だ。しかし、私の頭はとても固くて何回繰り返してもなかなかうまくいかなかった。

 カウンセリングとは所詮こんなものかとあきらめていた時に、心理士から別の課題が出た。それはマインドフルネスに取り組むというものだった。いや言い方がおかしいな。マインドフルネスな状態を目指しましょうというものだ。

 課題は下記の本をから毎週一つか二つと、瞑想だった。アフィリエイトになってないので安心してどうぞ下記のリンクを踏んでください。  

「今、ここ」に意識を集中する練習

「今、ここ」に意識を集中する練習

 

「マインドフルネス」は、禅の考え方をベースに宗教的な要素を排したもので、「今、ここで起きていることに意識を完全に向けて集中すること」といわれています。

グーグル、インテル、ナイキ、マッキンゼーゴールドマン・サックスをはじめとした世界の先端企業で社員研修に取り入れられるなど、「心のエクササイズ」として広まっています。
また、プロテニスのジョコビッチ選手など、トップアスリートも実践し、注目されています。

「今、ここ」に意識を集中すると、過去の出来事にくよくよして後悔することもなく、未来への不安もなくなり、余計なことを考えなくなります。

  つまりは、不安や恐怖などの負の感情は過去か未来、どちらかを考えることで出てきてしまうから、今現在に集中しましょう、意識を向けましょう、ということらしい。

 課題は、例えば


・練習1 利き手でないほうの手を使う(→ 初心に戻る)
・練習10 電話が鳴ったら深呼吸する(→ 動作を止めることによって、体と心の緊張がほぐれる)
・練習21 青いものに目をとめる(→ 思いもかけないところに青い色があることがわかると同時に、空の青さにあらためて感動するなど青い色がより鮮やかに見えてくる)
・練習40 「老い」の表われに目を向ける(→ 老いは「比較」によって感じるため、この瞬間を生きる と年齢を意識しなくなる)
・練習47 食べるものに思いをはせる(→ 数えきれないほど多くの生き物の命のエネルギーを取り込んでいることに気づき、感謝する)

 のようなものだ。

 最初は私のことを馬鹿にしているのか?と思った。だって、課題といっても本当に簡単そうなことだったから。でも心理士は、アヤセさんは将来の遠くのことに対して不安を感じやすいし、認知療法のような静的な治療よりも、何かに取り組むような動的な治療が向いていますよ、と言った。こちらの方は行動療法らしい。

 実際に始めてみると意外と難しく、例えば利き手と反対側の手で歯磨きをすると口の周りがべちょべちょになってしまう。瞑想も真剣に取り組むと、雑念がじゃんじゃんと湧いてきて、頭の中ってこんなにいつもうるさいのかと驚いた。

 本を3分の1くらい消化したころだろうか。日々のしんどさが減っていることに気づいた。いとこが車を買ったとか、友達が家を買ったとか、そんなことを聞いても何も負の感情が生まれなくなっていた。将来住宅ローンが組めないとか、医療保険に入れないとか(実際は引受緩和型保険というものがあって保険料は割高だが入れる)、そんなことは思い出さなくなった。それよりも、今日の自分、明日の自分に意識が向いている。毎日の一日一日を丁寧に過ごしているような感覚を覚えた。

 

 

 少し前、銀行員時代の同期と久しぶりに飲む機会があった。東京駅八重洲口側のイタリアンバル。1人3,500円くらい。とても楽しくて、お酒がほとんど飲めないのにサングリアを2杯も飲んでしまった。

 私の同期はとても優秀な人たちで、順調に昇進して課長代理になっていた。年収900万円くらいだと思う。スムーズにいけばあと2年で課長に昇進するが、その前に年収は1,000万円に乗るだろう。

 昔の私だったら、それを目の当たりにして悔しくて悔しくてたまらなかっただろう。同期と比べて、なんて自分は惨めなのだろうと思っていただろう。でも今は違う。同期の昇進を、結婚を、出産を、子育てを、素直に「幸せそうで良いね」と伝えられる。同期の幸せを喜べるようになった自分に、私は嬉しくなった。

 

 丁寧に淹れたコーヒーが美味しい、2割引きの豚ひき肉が買えてうれしい、作った料理を恋人が美味しいと言ってくれた、来週はゲームの発売日だ、来月は安くて良い宿が予約できて楽しみだ、こんな小さな、身近にある幸せを今は味わって生きている。

 もちろんこんな病気を患っているから、将来のことが不安であることに変わりはない。

 でも、手の届く幸せを大事にして、これからも毎日を丁寧に生きていこうと思う。

 

週5日働けない

 ここ3週間くらい、週5日満足に働けていない。今週は1日欠勤してしまい、先週は2日欠勤していまった。

 私は多くの人と同じサラリーマン。サラリーマンはみんな一日8時間週5日働くのが当たり前だろう。働き方改革的なものでそうではない人もいるけれども。私はその「当たり前」ができない。その「当たり前」を目指して日々悪戦苦闘している。

 4月、5月、6月途中くらいまでは順調に働けていた。引っ越しやら商談やらが重なって大変ではあったが、天気や気温が比較的安定していたため、なんとか毎日を無事に過ごすことがきていた。

 しかし、今年は梅雨が長い。日差しが無いとセロトニンの生成が阻害されてしまう。

 セロトニンとは、脳内で働く神経伝達物質のひとつで、感情や気分のコントロール、精神の安定に深く関わっています。セロトニンが不足すると脳の機能の低下が見られたり、心のバランスを保つことが難しくなります。セロトニン不足は、ストレス障害やうつ、睡眠障害などの原因になりうることも知られています。

www.japanclinic.co.jp

 うつ病やその他精神疾患を患っている人は十分ご存じのはずだが、セロトニンが不足するとまともに生活が送れない。

 そして曇りや雨で暗いから、気分も暗くなってしまう。

 梅雨対策、とにかくできることが少ない。せめて体を動かしたり、十分な栄養を摂ることだ。それでも日光がないと圧倒的にセロトニンが足りない。抗うつ薬で脳内のセロトニンの量が減るのを防いではいるが、そもそも生成量が少ないのだから焼石に水感は否めない

 今年の梅雨はありがたいことに冷夏だから、なんとか今の欠勤日数で済んでいる部分がある。

 しかし、東京では気温が17日(水)には28度、18日(木)には29度に達し、19日(金)には30度を超えてしまった。今週の欠勤はこの気温のせいで体力を削がれてしまったからだと考えている。猫も溶けてしまうのだから、私も溶ける。

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 来週からは軒並みずーっと30度超えの予報。今の私の体力では週5日の労働に耐えられる気がしない。どうしようと頭を悩ませてるところだ。

 毎年7月、8月は体調を崩すことが多い。猛暑に体が適応できず疲労が体力を上回ってしまうからだ。今年はなんとか乗り切りたいと考えているが、良い対策は無いものか。

 たぶん、体力をつける以外に方法が無い。しかし、体力をつける体力が無い。土日にジムで運動とか、プールで水泳とか、そんなことをしたら、翌週分の仕事に必要な体力まで使ってしまう。家から徒歩2分の場所にプール付きジムがあるのだが、なんとももったいない。ウォーキングで軽く汗を流すくらいが良いのだろうか。

 

 毎日8時間ちゃんと働きたい。別に仕事が好きなわけではない。どちらかというと面倒くさい。でも、生きていくにはお給料が必要だし、休めば休むほど社内での信用を失うし、時には嬉しいこともあったりする。人並の、健常な人と同じような生活を送りたい。高望みなのだろうか。でも私は諦めたくない。

 明後日からまた新しい1週間が始まる。もし、欠勤しないで働けたら、頑張ったご褒美として、おいしいケーキでも食べようと思う。

ひと玉98円のキャベツ

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 遅くなってしまったが、6月の家計簿を締めてみた。

 5月中旬から二人暮らしを始めた。なにぶん二人暮らしは初めてなので、どれくらい生活にお金がかかるのか想像がつかなった。5月は半月だし初期費用も多いので検証ができないため、6月を分析することとした。

 水道光熱費、通信費などなどは、まぁ想像通りだった。

 驚いたのは食費だった。私たちは昼はお互い別々の小遣いから拠出するので、食費というのは朝ご飯と晩ご飯の分である。

 約55,000円もかかってしまった。

 いや、たしかに足りない調味料とか買い揃えたりしたので、若干初期費用的な支出もあるが、5万円オーバーだなんて……。

 二人で暮らせば、一人が別々に暮らすよりコストダウンが図れると聞いていたが、話が違う。確かに家賃は二人で割れば一人で暮らすより安く済むし、広さや設備の充実度のアップも図れる。事実そうなっている。しかし、繰り返すようで大変恥ずかしい話だが、食費が5万円オーバーだなんて……。

 

 私なりに分析してみた。

 結論から言うと、スキル不足であった。

 Zaimというアプリを使って家計簿を管理している。レシートをパシャリと撮ると、金額だけでなく、何を、どこで、いつ買ったのか一発でデータを入れることができる。手入力よりはるかに楽である。手軽さこそ家計簿が続く秘訣だと思う。

 話がそれてしまったが、6月に買った品目を見てみると「サラダ用千切りキャベツ108円」という項目が頻繁に出てきた。私は野菜を食べるのが好きで(もちろん焼肉も寿司も好きだが)、夕食には必ずサラダ的なものが一品欲しい人間である。二人暮らしを始めて時間と体力がない中で、この皿に盛るだけでサラダが一品完成する商品は大変重宝した。

 しかし、裏を返せば、キャベツを買ってきて千切りにする時間と体力と、そしてスキルを持ち合わせていなかったのでる。キャベツひと玉買ってきてそれを腐らせず、かつおいしく調理するスキルを持ち合わせていなかった。

 味付けはクックドゥー的なものを使っていた。これも家計を圧迫する原因のひとつである。

 7月16日現在、月を半分経過した段階だが、食費が2万円を切っている。単純計算すれば、イレギュラーを考慮しても4万円台に収まる計算である。

 6年ぶりの自炊を続けて、今はキャベツひと玉を調理仕切るスキルがついてきたように思う。だから、先週98円のキャベツをひと玉買ってきた。一食4分の一玉とすると、一食24.5円の計算だ。お肉と炒めて主菜に、調味料と和えてサラダに、コンソメで煮てスープに、あとはパスタの材料として使った。

 ほかの食材についても同様に、安いものを買ってそれを軸に置いてレシピを考える。調理時間が二人暮らしを始めた時と比べて格段に速くなったことも奏功している。

 

 お盆に2泊3日の旅行に行く予定がある。お金が無いのであまり良い宿には泊まれないが、とても楽しみである。料理スキルをさらに向上させて食費を浮かせ、そのお金でちょっとした贅沢ができたら良いなと考えている。

 

 何より、野菜を刻んでいるときは無心になることができて精神的に良い。

 

 

 

うつの種類(私の場合)

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    うつ病になってから色々苦しんでいるのだけれども、心理士さんと話したり日記をつけたりしてたことで、何種類かに分類できるこどが分かってきた。そして、その時々何のうつが来ているかによって、対応方法もだんだんと分かってきた。

 

  • 恐怖や不安によるうつ

 何か悪いことが自分の身に降りかかるのではという不安や恐怖。怖いから身動き取れなくて、会社にも行けないし、布団からも出られない。頭の中がこれでいっぱいになる。これが25歳からのうつ病人生の大半を占めてきた。

 これは心理士と一緒に認知行動療法と持続エクスポージャー療法を行って大分抑えられるようになった。漠然とした不安や恐怖を、具体的な原因に分けて、それを一つずつ潰していく作業。持続エクスポージャー療法は正直、その原因と正面から対峙したり観察したりしなければならなかった(心理士曰く、味わうと言うらしい)のはしんどかった。なんだかんだ足掛け2年くらいかかった。お金も結構費やした。お陰で今はほとんどこの種類のうつは出なくなった。

 でも、やっぱり今も理由無く不安や恐怖が襲ってくることがある。そういう時は、4月中旬くらいから処方されるようになったソラナックスを飲んでいる。これで大体のことは対処ができるようになった。

 

 この種類のうつが今では一番多い。

 実は、疲労抑うつ症状を引き起こすトリガーになっていた。疲労とは、身体的なだけでなく精神的なことも含めてだ。気分がずーんと重く、体も怠い。何かをしようとする気力が湧かない。虚無という感じだ。

 「疲れて会社行けないのかよ、甘えてるな」そう言う人もいる。当初家族にもそう言われていて辛かった。自分でも「私は甘えているだけなのでは?」と悩んだ時期が相当あった。

 しかし、この時の状態を心理士に相談すると、典型的なうつ病の症状だと言ってくれた。ああ、私は甘えて仕事に行けないのではないのだなと安どした。

 こいいう時の対処方法はとにかく休むことである。外に散歩に行ったり、映画を見たり、そういう気分転換などではない。とにかく休むのである。最善は寝ることである。でも私は重度の不眠なので、そんな簡単に寝ることができない。そういうときも布団の上で目をつぶってじっとするのである。できる限りリラックスするのである。私は優しめの音楽を聴いたりお香を焚いている。上手に体と心を休ませることができていれば、夕方くらいには抑うつ状態を抜け出せることが多い。

 対処の前に、まずこの種類のうつが来ないようにすることが大切だ。そのために、心理士からは疲労のコントロールを厳命されている。私はどうも自分の疲労を感知する能力に乏しいらしい。だから土日の片方、できれば日曜日は何も予定を入れず、ゆっくり休むようにしている。週の半ばでも、今日の仕事は忙しかったなと感じたら、家事を後回しにして早めに寝るようにしたり、いろいろ工夫を凝らしてみている。まだここは試行錯誤の段階だ。

 

  • 波によるうつ

 もう、これは避けようがない。来るものは来る。来てしまったらどうしようもない。一定周期で来る。食事がとれなかったり、風呂に入れなかったりする。

 対処方法は、波が過ぎ去るのを待つのみ。何もできなければ、何もしない。何かできそうなら、ラジオを聴いたり、散歩をする。これも、無理の無い範囲で、余裕があればである。

 昔は波がくると1か月や2か月丸まる抑うつ状態が続くような感じだった。今は3日程度で過ぎ去ってくれることが多くなった。波と波の間隔も1か月くらいまで長くなってくれた。

 

  • 今日のうつ

 昨日から私は抑うつ状態で会社を休んでいる。今振り返れば、土曜日から何か調子がおかしかった。上記に書いたような対処方法に則るのであれば、日曜日はゆっくり休むべきだった。しかし、徒歩20分くらいのスーパーまで買い物に行ったりしてしまった。

 今回のうつは、疲労なのか、波なのか、いまいち判断がつかない。もしかしたら、ハイブリッドの可能性もある。このブログが書けているということは、そこまで重症ではないはずだ。明日には抜けているだろう。明日は大事な商談があるので、何とか出社しなければならない。しかし、あまりプレッシャーを感じずに療養することとしたい。

 

  • うつは抜けられる

 この5~6年で学んだことは、相応の対処をすれば、いつかは抑うつ状態から抜け出せるということだ。これは、私にとって大きな希望だ。このような病気になってしまったけど、毎日を生きていかなければならない。このまま人生ずっと抑うつ状態なのだろうかと悩んだ時期もあった。いや、そういう時期の方が長かった。でも、今は、いつかはトンネルから抜け出せる日が必ず来るということが分かっているから、明日を堂々と待つことができる。

神の薬?

 私はうつ病だ。まだ治っていない。

 どうしてそうなったかは下記の記事をご覧ください。

 

ayase1988.hatenadiary.com

 

 うつ病になってから、ずっと漠然とした恐怖、不安によって生活がままならなかった。それを心理士さんとのカウンセリングで、漠然としたものを一つ一つの要因に因数分解して具体化した。電話、大声、クレームなどが不安や恐怖を引き起こすトリガーだということが分かった。それに対して丁寧に持続エクスポージャー療法で耐性をつけていった。そのおかげで、欠勤が徐々に減っていき、社内に居てもヒリヒリとした感じが無くなり、平穏なに日常が増えた。心理士さん、ありがとうございます。

 しかし、どうしても原因が分からない不調は残っている。何か悪いことが自分の身に起きるのではないのか、という感じが突然襲ってくるのである。会社にいる時はとりあえずトイレに行く。行っても特段良いことはない。以前はたばこを吸いに行ったが、今は禁煙中である。残念ながら、気分を切り替える方法を持ち合わせていない。

 大変に困っていたところ、同じような病気や障害を持つ人がソラナックスという薬を頓服として使用していることをツイッターで知った。すぐDMで、飲むとどんな感じになるのか、副作用はあるのか、離脱症状はあるのか、いろいろ聞いた。その人はとても親切に教えてくれた。

 担当医に事情を説明して処方してもらった。これが4月のGW10連休前のこと。

 GW中に大学の同級生の結婚式があった。行く前から憂鬱で、挙式には出られず、披露宴から参加した。祝いの席なのでとても華やかな雰囲気でその場は楽しめた。

 しかし帰りの電車の中で途端に自分が惨めな気がしてきて、いてもたってもいられなくなってしまった。自然と涙が溢れてきた。自宅に帰ってから、ソラナックスを1錠飲んだ。お風呂に入らなきゃ、そう思った時、悲しい気持ちが無くなっていることに気づいた。

 全く悲しくないのである。なんだこの現象は!?さっきまで泣いていたのだぞ!?と大変驚いたことを覚えている。

 その日以降も、突然の不安や恐怖に襲われた時は飲むようになった。15分~30分程度で気持ちが楽になる。

 これは神の薬か?

 

 しかし、その効果の強さゆえに逆に怖くなってくる。ネットで調べてみると依存症になるリスクがあるらしい。確かにこの効果と即効性だ、依存症になるのは納得だ。

 そこから、月5錠くらいで抑えるように努めている。

 もっと昔にこの薬と出会っていれば、と思うこともある。しかし、状態が散々だった昔にこの薬と出会っていればODを繰り返していただろう。

 薬でも毒でもあるのだ。その他の薬も含めて、上手に付き合っていきたい。