明日も生きたい日記

うつ病と適応障害を患ったアヤセが明日生きたいと願うブログ

35歳以下は星野リゾートBEB5軽井沢に泊まれ!

 7月中旬頃、ツイッター星野リゾートBEB5軽井沢が良いというツイートが回ってきた。なんと35歳以下は一泊1室16,000円だというではないか!

 お盆はどこに行こうにも宿代がバカ高くて諦めてて、家でダラダラする計画だったが、2人で行けば1泊1人8,000円という安さ!しかもホテルはオシャレらしいし、近くには温泉もあって、何より涼しい軽井沢、これはもう予約するしかない!そう思い立ってすぐにスマホで予約をしようとするにも空室がなかなか見つからない。日程の変更を繰り返し、諦めかけてたその時、1室だけ空きを確認。すぐ予約。繁忙期は2泊からということだったが、それでも2泊1人16,000円。お盆のこの時期には格安だ。

 

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 軽井沢へは上野から新幹線で1時間ぴったりくらい。片道5,900円。熱海に行くよりはちょっと高い。上野で駅弁を買って車内で食べてたらすぐ着いた。第一声「す、す、涼しい〜〜」。


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 13時半頃に着いたので、テレビでお馴染みの旧軽井沢銀座へ。バスで片道160円。道が混んでて意外と時間がかかった。お土産物屋さんが並んでて楽しかった。

 お目当のミカド珈琲へ。

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 運良く席が空いて中でゆっくりできた。外のテラスなのに涼しい。さすが軽井沢。

 名物モカソフトを食べる。味音痴だから上手く表現出来ないけれど、高級パピコみたいな感じ。ただ甘いだけじゃなくて、後味に重めの苦味が残って大変美味しかった。


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 せっかくなので、コーヒーも。おばさんが横文字の名前の付いた銘柄をオススメしてくれたが、ここは王道の旧軽ブランドと三笠ブレンドを飲む。酸味より苦味が強い方が好きな私は三笠ブレンドが好みだった。美味しすぎたので、お土産に三笠ブレンドの豆を引いてもらった。


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 軽井沢駅へまたバスで戻る。帰りは道が空いていすぐだった。ホテルのある中軽井沢駅へ、しなの鉄道で移動。電車が可愛かった。


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 中軽井沢駅から徒歩15分もかからずホテル到着。オシャレかつオシャレ、つまることろオシャレ。外観の写真を撮り忘れてしまった。カードキーもオシャレ。


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 一階には24時間営業のカフェ&バー。オシャレ卓球台も置いてある。


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 TAMARIBAと呼ばれるラウンジは解放的で、やはりオシャレ。


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 グッズとかも売っていた。


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 中庭では火が焚かれていて、ブランケットを敷いてゆっくりできる。あいにく台風の影響でホテル到着してすぐ雨が降ってしまったので、火は消されてしまった。残念。晴れていれば、夜みんなで外に集まって火を囲んでお酒とか飲んで団欒したらきっと楽しいだろう。


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 夜はこんな感じ。インスタ映え間違えなし。


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 18時を過ぎていてお腹が空いていたので、星野リゾートが運営するミニショッピングモール的なハルニレテラスへ。ホテルから徒歩10分くらい。

 

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 レストランはどこも満席で、何か買って帰ろうと地図を見るとパン屋が。行ってみると値段がどれも高い!星野リゾート価格!軽井沢価格!

 ホテルから徒歩2分のところにセブンイレブンがあるので、そこで調達。

 

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 夕食後、せっかくだしウリのラウンジでゆっくりしようかと部屋を出る。最大の楽しみだった24時間営業のカフェ&バーでスペシャルラテを注文。これがクソ不味い。こんなに不味いラテを飲んだのは人生で初めてかもしれない。恋人はアイスカフェオレを頼んでて、少しもらったけど冷たい泥水だった。このホテルでコーヒーを飲みたくなったらセブンに行こう。


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 ゲームとかも置いてあった。恋人にボコられた。


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 客室の廊下はこんな感じ。部屋の写真を撮り忘れた。設備は値段相応で必要最低限。寝泊りするのには十分。清潔感も十分だった。しかし、パジャマが200円で有料なので持参すると良い。


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 スリッパも無くて、自販機で550円。めちゃ高い。もちろん買わなかった。必要ならこれも100均で買って持参した方が良い。

 

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 2日目の朝食はハルニレテラスで気になっていた丸山コーヒーで朝食。コーヒーもホットドッグもとても美味しかった。コーヒーはフレンチプレスという入れ方らしい。入れ方でこうも味が変わるんだね。


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 食後はハルニレテラスから徒歩10分の温泉に。ホテルからも無料のシャトルバスが15分間隔で出ている。通常1,500円のところ、ホテルのカードキーを見せると500円で入れる。タオルはホテルのものを持って行けば良い。

 設備は清潔感十分。大きいお風呂と、露天風呂と、サウナと、水風呂がある。久しぶりに足を伸ばしてお湯に浸かれたので、とても癒された。1時間15分くらい入ってたかも。外に見える木はもみじだと思うので、秋は赤い景色が楽しめるだろう。


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 お昼はハルニレテラスのなんか有名なお蕎麦屋さんに。30分くらい並んだ。美味しかったけど量が少ない。あと星野リゾート価格、軽井沢価格だった。


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 ホテルでゆっくりして、夕飯は予約してあったラ・ルーチェというイタリアンに。ここも運良く最後の1席だった。


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 コーンスープがトウモロコシそのままの甘さで絶品だった。700円也。


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 たらふく食べて一人5,000円くらい。贅沢をしてしまった。行きたい人は予約しないとディナーは絶対入れないと思う。ランチは1,500円くらいでリーズナブルに食べられるらしい。というか、星野リゾート管轄外のまともな飲食店がこのラ・ルーチェしか無い。

 

 夜は軽井沢高原協会のキャンドルナイトへ。人がたくさんいて静かでは無かったけど、とても綺麗だった。ここもインスタ映え抜群だと思うが、けっこう暗いのでスマホだと厳しいかも。一眼とか良いカメラがあると良いかもね。


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 最終日はチェックアウト前にもう一度温泉へ。500円の贅沢。ホテルを出てからは軽井沢駅に戻ってコインロッカーに荷物を入れ、アウトレットへ。けっこう広くて半日潰せた。入ってるお店は首都圏のアウトレットとほぼ変わらない。この日は肌寒いくらいだった。お昼はフードコートがあり、安く済ませられる。席数も首都圏のアウトレットよりは多いと思う。


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 帰りの新幹線で夕飯の名物釜飯を食べる。


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 20時頃帰京。

 

 

 閑散期でも繁忙期でも35歳以下なら一泊1室16,000円で価格が変わらないのは、かなり安いと思う。1部屋3人まで泊まれるので、そうした場合は1人5,000ちょっと。食事とかにこだわらなければ、近くのセブンとか使って飲食は安く済ませられる。移動も夜行バスとか使えばもっと節約できる。

 大学生とか、社会人なりたてとか、お金があまりない人でも軽井沢を満喫できる素晴らしい宿泊施設だと思う。お盆に行ったからなのか、小さいお子さん連れの家族が多かった。若い家族やカップルにもおススメ。夏の避暑地には最適だし、秋は紅葉があるし、冬は雪景色でこれもまた楽しいだろう。

 また利用したいと思う。 

 

 夏休みのちょっとした贅沢。以上、旅日記でした。

 

繋がりたいけど繋がりたくない

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 下の記事でも書いたけど、絶対に社会の役に立つ商品を思いついたのが8月4日の出来事で、結局ニーズはあってもそれを解決する商品を開発するお金が無いな~という結論になった。

 

ayase1988.hatenadiary.com

 

 その後、とりあえず企画書と収支計画書を書いて、ダメ元で会社の偉い人に提案してみた。そうしたら意外と好評で、新規商品開発の人たちと打ち合わせをしてみてはどうかと言われた。

 新規商品開発の人たちに話してみたら「これは面白いね」「確かにこれで多くの人は救われるだろう」とこれまた高評価を頂いたが、採算が取れないと手を付けるわけにはいかないという当たり前の指摘を受けた。しかし、気持ち的には前向きなのでしっかり調査してお盆明けにもう一度打合せをしましょう、こういうのはスピード感を持ってやっていきましょう、あなたが思いついたんだからあなた中心でやっていきましょう、ということになった。

 この私が思いついた商品はスマートフォンタブレットのアプリと、IoTのハードウェアとのセット商品なのだが、いかんせん文系の道をずっと進んできた私にはこの開発費用がいくら掛かるか分からない。一応収支計算書を作成する段階でグーグル先生に教えてもらって概算を出したが、グーグル先生に教えてもらった金額をもとに会社が動くのは危ないし、社員も偉い人も納得はしない。

 そこで餅は餅屋ということで、唯一のエンジニアの知り合いを呼び出した。彼は、フロントもバックエンドもウェブもアプリもなんでもござれの、最近はあまり聞かなくなったけれども、いわゆるフルスタックエンジニアさんだ。

 喫茶店に入って企画書を見せて色々説明すると、彼はふむふむと言って質問をいくつかしてくれた。それに「ここはこういう仕様にしたい」「ここはこういう料金体系にしたい」答えると、開発規模は〇人月かかって、今1人月が〇〇万円だから、だいたいこのくらいかなと答えてくれた。

 残念ながら、開発費用は私が作った収支計算書に記載された金額よりも遥かに莫大なもので、その時点でこの思いついた商品が世に出回ることは無くなった。もし仮に私に人望があって公益財団法人を作ってたくさんの協賛金を集められれば不可能ではないが、営利企業としてはまず不可能なものだった。

 この一連のやりとりで、やはり人と人の繋がりは大事だなと思った。お盆明けに会社の人に、こんなプロジェクトにアサインしているフルスタックエンジニアさんが見積ると……という風に話をすれば、きっと納得してくれるだろう。往々にして「誰が言ったか」が重要な場面は多い。

 餅は餅屋だし、人間ひとりができることなんかたかが知れている。

 今回の商品開発の件では私にできることといえばグーグル先生に聞いてパワーポイントの企画書とエクセルの収支計画書を作成するくらいなもので、普段の仕事の経理も分からないことは会計士に聞きながら進めている。うつ病に関することなんて心理士にお世話になりっぱなしだ。

 この先、何か良いことを思いついた時も、悪いことに出会ってしまった時も、私ひとりでは解決でいないことが出てくるかもしれない。その時、頼れる人がいるかいないか、とても大きなポイントだと思う。

 だから優秀な人と、いろいろな分野の人と、繋がっておくのは大事だなと今回の件で思うのであった。

 しかし、私は人付き合いが苦手だ。出会って、その関係を維持する、人と繋がることにかかる精神的コストは莫大だ。だから、病気になって色々な人とできるだけ距離をとって生きてきた。連絡を気軽に取れる友人も大分減ってしまった。私は今、とても狭い社会の中で生きている。狭い社会の中でないと生きていくことができない。

 一方で、先にも書いたように、人との繋がりは時に私を助けてくれることがある。人との繋がりは大きな資産だ。

 人との繋がりにも、精神エネルギーをたくさん必要とする繋がりと、そうでない繋がりがある。

 今回の商品開発の件で呼び出した彼は、以前勤めていた会社に中途で入った同期のひとりで、一緒に汗水流しながらプロジェクトを進めた仲だ。それぞれ今は違う道で仕事をしているけど、それが逆に良くて、貸し借りや営利的な繋がりではない。だから、精神的エネルギーを費やす必要がない。ありがたい。ツイッターでのつながりも、営利的な繋がりではないので同じく楽である。

 でもこの先、会社を大きくしていくにはきっと、取引先の人や同業他社の人と繋がっていかなければならない。これは営利目的、利害が絡む繋がりだから、膨大な精神的エネルギーを費やす。

 そもそも、こういう利害とか、駆け引きとか、そういうのが苦しくて営業職からドロップアウトしたのに、やはりこういう繋がりからは逃げられない運命なのだろうか。

 繋がりたいけど繋がりたくない。これが、うつ病を患ってからずっと抱えている葛藤だ。

 

ピンクのパンツを履くと不安になる

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 みなさん、占いって信じる?

 私は信じない。信じてないけど、気にはする。気になって不安になる。繰り返すが、信じてはいない。験担ぎみたいなことはする。

 例えば、いつも通勤途中でポケモンGOをやっているが、ポケモンにバシバシ逃げられると「今日は何かミスしたりクレームくらったり、嫌なことが起こるんじゃないだろうか」と考えて不安になってしまう。

 他にも、暖色系の下着を着けている日は、不運なことや理不尽なことに多く会っているように感じる。特にピンクの下着を履く日は「今日は大丈夫だろうか」と朝からとても不安になっていた。

 弊社の業務中の服装はオフィスカジュアルだ。

 ワイシャツは、薄ピンクのものは、良いことが無い気がする。

あと、パンツ。大事なことがある日や、ミスが許されない日は、極力ベージュじゃなくて紺を履くようにしていた。

 

 以前は理由もなく漠然とした不安に覆われることが多くて、それが原因で抑うつ状態になったり、会社でソワソワしたりして精神を消耗していた。

 ある時気付いた。なんと馬鹿らしい。たかが仕事に着ていく服で一喜一憂するなんて、と。

 

 だから、暖色系の下着は全部捨てて寒色系に統一したし、ワイシャツはユニクロのスリムフィットの白に統一したし、パンツも出来るだけ暗めの色を揃えた。

 お洒落な服装でカッコよく仕事をすることには、ぶっちゃけ憧れる。でも、それよりも精神の安定が優先される。

 だから、仕事で着る服に関して、選ぶことを極力減らした。

 

 私の家のクローゼットにはセールで買ったユニクロのワイシャツがダーっと並んでいる。どれを選んでも同じ確率で幸も不幸も訪れるから、選ぶ必要がない。

 

 精神力がノミの心臓だから、出来る限りの事はやっておきたい。だって、仕事以外にもやりたいことがあるから。たかが仕事着で一喜一憂してる暇、というか心身のリソースは無い。

 

 これからも、工夫、出来る限りして、毎日の心身の負担を軽減していきたい。

7月の食費

 7月の家計簿を締めた。

 結果、食費は40,523円だった。ちなみに食費は朝ご飯と夜ご飯のみで、お昼ご飯は各自のお小遣いから拠出。

 惜しい〜〜!!!あとちょっとで3万円代に収まったのに……!!でも6月の食費55,000円と比べればだいぶ進歩ではないか?

 どうやったら食費を低く抑えられるかというチャレンジ、やってみたらかなり楽しめた。スーパーでいかに安くて良いものを探すか、その材料からどうやって美味しい料理を作るか。仕事では使わない頭を使うので、良いリフレッシュになった。

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 例えば、大根一本を98円とかで買って、それを三等分にして、炒め物、煮物、サラダと3つを作った。今までは加工済みの野菜を買うことが多かったが、やはり仕入れる量が多いと単価が下がり、それを処理するスキルも身についてきたのではないだろうか。

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 また、暑くなってきたので「サッパリしたおかず」などテーマを持って料理もしてみた。恋人から酢の物をリクエストされたが、あいにく私は酢の物が食べられないので、間を取って南蛮漬けにチャレンジしてみた。やってみると意外と簡単で、材料を切って、揚げ焼きにして、調味料と和えるだけ。この味付け技術、醤油と酢をどれくらい入れるとどんな味になるのか想像する技術も上がっているようで、なかなか美味しく仕上がった。まぁ、基本はネットで検索した美味しそうなレシピ通りに進めるのだが、そのレシピ通りピッタリの量の材料がいつも揃うわけではないので、多くなったり少なくなったりした分は自分で調整しなければならない。そこのスキルが身についてきた。

 8月はお盆があって旅行に行ったりするので、自炊する機会は7月と比べると少なくなるはずだから、ぜひ30,000円代を目指してやって行きたい。醤油以外の調味料はまだ余裕があるので、買い足すものも少なくて済みそうだ。

 貧乏だけどそれをいかに楽しむかってとても重要だと思う。だって貧乏だから。あと、それって凄く難しいことだとも思う。残念ながら私の7月のお小遣いの方は火を吹いてしまったので、こちらもお金をかけずに楽しく生活できるように色々試していきたい。

ニーズはあるのにプロダクトが開発できない

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    私は零細企業の経理として働いてる。

 一番大事な仕事は決算書を完成させることと税務署に申告することだ。日々の過ごし方は売掛金の回収や請求書の発行など、ルーチンワークをこなす感じだ。突発的な業務はあまり入ってこない。仕入れ先のアメリカさんがあーだこーだ言ってきたときにメールでやり取りするくらいだ。

 入社初期の頃は簿記すら持っていなかったので、これは借方?貸方?福利厚生費?会議費?など、いろいろと迷うこともあって、自分でググったり、顧問の会計士に相談したりしてきたけれど、簿記も取得して理解が深まったので、今はだいぶ業務自体には慣れてきた。基本は通帳なんかを見ながらテンキーで数字をひたすらに入力していくだけだから、仕事はオートパイロット状態で進んでいく。

 最近は、オートパイロット状態は良くないなと思ったので、自分の業務やこの会社がどうやったらもっと良くなるだろうと考えながらテンキーを打っている。実際いくつか思いついて、会社の偉い人と相談して、業務の効率化を図ったり、資金繰りの改善を実施したりした。

 効率化の次に思うのは、売上をどのようにして上げればよいかということだ。こういうのをいわゆるマーケティングと言うのだろうか。弊社はお金が無いのと、商流の関係で、広告宣伝費に資金を投入してもあまり効果が無い。そうすると次は、売れる商品の開発、販売ということになる。

 マーケティングの本をいくつか読んだが、基本的には、売れる商品というのはニーズとマッチしてこそ、と書いてあるものが多かった。だから自然とテンキーを打ちながらニーズについて考えることが増えた。

 私は頭が悪いので、簡単にニーズを見つけることができない。本によれば、ニーズ=困っていること、だそうなので、私の身近からまずは考えてみることにした。

 そうすると自然と病気や障害のことになる。うつ病の人が困っていることはたくさんある。何の理由もなく辛い、会社に行けない、夜眠れない。そういうもの対してはもう製薬会社が薬を開発して販売している。それを医師が処方する。でも、実際うつ病の私には今の薬では十分ではないので、もっと効果があって副作用の薬があれば欲しいなと思うのだが、そんなすごいものを開発する莫大な資金は無い。

 

 そんな中、向坂くじらさんという方が開いた「月曜日の避難所バー」というイベントを発見した。月曜日はみんな辛い。日曜の夜は、翌日の月曜日を思うと辛い。そんなニーズに合わせた企画だ。残念ながらこのイベントは今はやっていないそうなのだけれど(詳しくは向坂くじらさんのnoteを見て下さい)、とても画期的だ。私がこの「月曜日から避難所バー」を発見した時にはすでにやっていなかったので内情は分からないが、もし何人か来て、採算がとれているならば、それはもうすごいことだ。

 

 そう、商品を開発するときに「採算が取れるかどうか」これが一番大事な判断になる。どんなに人の役に立つものでも、採算が取れなければ販売元の手元資金が尽きて終わってしまう。例外もある。先ほど挙げた薬だ。これは薬自体の値段が高くても、健康保険で購入者は基本的に3割負担で買うことがき、ニーズが満たされる。

 ニーズの中には、インスタ映えしたいというニーズもあるし、生活が送れないというニーズもあるし、様々だ。タピオカミルクティーはそれ単体で採算が取れる。でも生活が送れないというニーズに対する商品は、基本的に公的資金を充当しないと採算が取れない。それに加えて商品の開発費用や、採算ラインに乗るまでの運転資金が膨大だ。商売にするのは難しい。

 

 つまり何が言いたいかというと、ひとつ今、どうしても解決したいニーズがあって、商品のイメージもできている。絶対人の役に立つことを確信している。採算ラインに乗ることもある想定できる。でも、そのニーズを満たせる商品を開発する手元現預金が無い。私は無力だ。

 だれかお金が余っている人、私に預けてくれませんか?(なんてね)

 ちなみに、その商品は私のような精神障害者ではなく、身体障害者の人のためのもの。精神障害者身体障害者も大きく括れば障害者だから、まぁ大きく括って良いのか分からないが、精神障害者の私が身体障害者の人たちのことを考える機会は結構多い。

 

 そんなことを考えながら、私は明日からもテンキーを打つのだろう。

 

病気のこと2

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 新卒うつ病罹患編は下記をご覧下さい。

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 新卒で就職した会社を辞めて実家のある東京に帰ってきた。ちょうど5年前の今日だと思う。8月の灼熱の日だった。体も心もぼろ雑巾のようだった。

 とりあえず、住民票を移したり、免許証の住所を変更したり、ハローワークへ失業保険の受給申請に行ったり、役所周りを数日間かけて行った。

 それが一通り済んで、これから先の人生をどうしようかと考えた。私はまだこの時、自分がうつ病だということが受け居られずにいた。すぐに社会に復帰して、またみんなが乗っているレールに復帰するんだ、そう考えていた。

 しかし、自分は営業に向いていないことは銀行で痛いほど分かったし、ノルマなんてもってのほかだし、しかし文系だから、転職サイトで調べてみると営業以外の職種の募集は皆無に等しかった。ハードワークも難しい体になってしまったので、残業の無い仕事を探す。しかし、どうせやるなら誰かのためになる、人の役に立てる仕事がしたかった。

 そこで思いついたのが、公務員だった。ノルマが無く、定時で帰れる(と当時は思い込んでいた)、人の役に立つ仕事、公務員しかないと思い込んでいた。銀行時代の先輩たちの中で公務員に転職する人たちが少なくなかったことも、公務員を選んだ理由のひとつになった。相変わらず心身ともに体調はおかしかったけれど、早くレールに戻らなければという焦りから、4つほどの公務員受験予備校を見て回り、3日後くらいに新宿の大手予備校に入学金を振り込んだ。今考えれば、明らかに視野狭窄に陥っていた。

 しばらくして、自宅に山のような教材とカリキュラムが届く。この時点で試験までは約半年。頑張れば十分に間に合う。スタートダッシュが肝心だ、そう思い込んで、教材を担いでほぼ毎日新宿に通った。確か一コマ90分の講義。すべて消化するには1日4講義は受講しないといけなかった。講義を受けたあとは自習室にこもって復習。もともと受験勉強は得意な方だったので、進め方に戸惑いはなかった。公務員になって、私は幸せな人生を歩んでいるんだ!と、今思えば誰に向かって言いたかったの分からないが、見返してやることを夢想していた。

 しかし、焦りとは対照的に日々悪くなる体調。体は重怠く、頭はぼんやりとしている。新宿に行けない日が少しづつ増えていく。講義が受けられないのならせめて自習を、そう思って家でテキストを開いた。しかし、翌日には勉強したことを覚えていない。恐らくこの時、脳の機能はほとんど日常生活を送るだけで精一杯だったのだと思う。勉強が進まない、しかし、試験日はどんどん近づいて来る。心が限界だった。

 公務員試験を諦めた。今の自分は受験勉強に耐えられる体と脳ではない。これで銀行に続いて2度目の敗北喫したと悔しくて泣いた。

 病院で新しい薬が処方された。最初2週間は副作用が出るけどその後体調はきっと良くなりますから、そう言われた。当時のお薬手帳を失くしてしまったので何の薬だったか分からないのだが、とにかく副作用は辛かった。重力が2倍になったんじゃないかと思うほど体は重いし、意識はもうろうとして、常に吐き気が伴った。ベッドから出ることができなかった。確かに2週間過ぎた頃から副作用が無くなり、気持ちが落ち着いてきた。辛くもないけど、楽しいや嬉しいといった感情もない。凪のような状態。

 その後は、毎日寝続けた。ベッドから起きて少し体調が良ければ、散歩をした。近所の人に無職だとバレたくなかったから、散歩は極力夜中だった。自分の体がボロボロだと公務員の受験勉強で痛感したので、とにかく回復に努めた。筋肉質だった体つきはいつしか骸骨のようになっていた。

 年が明けて2月に入ったころ、なんとなく充電されたような気がして、失業保険の給付も終わりに近づいてきたので、本格的に仕事を探すようになった。数社に履歴書を送ったり、面接をしたりした。これが面白いように通ってしまう。元銀行員という肩書、空白期間があるのにすごい威力だなと、世間が人をどうやって見るのか分かった気がした。その中から、何をやっているのか分からなけど何となく面白そうな中小企業に転職した。

 私は新規事業部に配属された。一発で身元を特定されてしまうので詳細な事業内容はかけないが、とりあえず毎月大赤字垂れ流しのこの新規プロジェクトを軌道に乗せてくれと言われた。毎日エクセルとパワーポイントを大量生産し、打ち合わせを繰り返し、エンジニアと一緒にリリース作業やデバック作業なんかも行った。残業も少なくなかったが、この時は楽しくて楽しくてしょうがなかった。

 なぜ、楽しかったのか、周りの人間に恵まれていたり、やること全てが新しくて新鮮だったりということもあるけれど、一番は薬のせいだと思う。転職活動前から、私はサインバルタという抗うつ薬を服用していた。専門的な知識はないが、テンションを無理やりハイに持ち上げる薬というのが私の今の認識だ。今の主治医から言わせればサインバルタはハッピードラッグだそうだ。

 そうやって無理やり気分を上げて仕事をしまくっていれば、うつ病から復職したての人間の体力ではそう長くは続かない。動けない日が出てきて、最初は午前休、次は当日欠勤が増えていき、それが2日、3日と長くなっていった。ついに会社に全然行けなくなった時、上司が連絡をしてきた。この時、つい自分がうつ病であることを口走ってしまった。うつ病だと周りから思われて仕事はできない。こうして私は会社を去った。

 それからまた3か月の療養生活。今度は零細企業の事務職になった。この会社の偉い人にはうつ病であることは伝えていた。他の一般の社員の人たちには伏せてもらった。仕事内容も色々と配慮してもらった。新卒で入った銀行に比べたらもう本当に小さな小さな会社だが、社内に病気の理解者がいるのはとてもありがたいことだ。

  そのころ、プライベートでも変化があった。地元の社会人サークルに通うようになった。大学時代までやっていた競技スポーツを再開した。体力づくりが目的だったが、競技なので勝つために色々考える。一生懸命プレーする。アドレナリンがどばどば出てくる。体が戦闘モードになる。生きている心地がした。しかし、家に帰って食事をとって風呂に入り、ベッドに横になっても戦闘モードがオフにならない。このころから不眠に悩まされるようになる。

 半年ほどたった頃だろうか。サークルに年が近くてプレーがとても上手な人が入ってきた。私はその人に勝てなかった。勝ちたかったから、一から競技の研究をして個人トレーニングもした。しかし、勝てなかった。悔しくて悔しくてたまらなかった。そして、そのうまい人が私のことを特に気にしていないことも気にいらなかった。私がその人の眼中なかったことが、とても惨めに感じた。

 秋ごろ、まだ夏の暑さが残る日、その日もその人に勝てなかった。そして眠れなかった。自分が競技で負け続ける姿が、自分の人生と重なっているように思えた。テンションが逆側にハイになっていた。どんどん転がり落ちていく人生、惨めで仕方がなかった。そうだ、このまま落ちていく一方なら、今日でこの辛い人生を終わらせよう。もう今以上に惨めな自分の姿を、私は見たくない。思い立ったらすんなりと行動に移せた。遺書を書いた。涙がボロボロ落ちてきたが、すらすらと両親への感謝の言葉が溢れてきた。そして実行した。

 自分の名前を母が呼ぶ声がする。気づくとフローリングの床に倒れていた。数時間気絶していたようだった。まだ外は暗かった。その日は家族そろって朝を迎えた。9時になって心療内科に行った。精神病院に入院することになった。

 半月くらいだと思う、精神病院の閉鎖病棟で過ごした。ここでに生活は今思い返せば色々と世間とはかけ離れていて面白いと思えるのでだが、当時はしんどかったし、今は書かないでおこうと思う。

 退院して、今私を見てくれている心理士を紹介される。この紹介が大きなターニングポイントになった。

 

 この続きは、、、書くのかな、、、?

 

魂が家出した

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 お風呂から上がり、ベッドの上で目を閉じ団扇で扇いでいると、恋人が、魂が抜けてるね、魂が家出しちゃったね、と言った。

 

 魂が家出した、こんな的確な言葉があったのかと驚いた。

 

 まず、魂についてだが。医師や心理士との面談では、抑うつ状態の波のことを説明するのに、何かをする気力が無い、無気力状態と表現している。相手もそれで分かってくれている。でも、なんかしっくりこないんだよな、とずっと思っていた。

 19日(金)からずっと会社を休んでいる。抑うつ状態。でも、昔に比べれば辛くはない。昔はもっと死にたい、消えて無くなりたい、というような希死念慮がモリモリ出ていた。今は、会社からの信用失墜とか、道行くサラリーマンのように働けない情けなさとか、社会にとって役立たずな自分とか、考えることはたくさんあるけれど、どこか他人事のような、良く言えば客観的な感じで捉えることが多い。一方、レジャーに関しても、どこか自分の事ではない感じがして、例えば映画を見ても、ふーん面白い作品だったな、というような。あ~~楽しかった〜〜!!とはならない。まるで評論家のような。昨日の夕食も、奮発して買ったパスタソースを使って作って、美味しかった。でも、美味しいという感動が無かった。

 そう、感動が無い。感動、心が動くという点で、魂という表現はとても的確だと思う。

 

 それから、家出した、という表現も鬱の波の状況を良く表している。

 私にとって会社は居心地の良い場所とはまだ言えず、戦いに行く場所だ(多くのサラリーマンがそうだと思う)。だから朝起きたら、よし今日も会社に行くぞ!とテンションを上げる。覚悟を持ってエンジンをかけるようなイメージだろうか。鬱の波が来ると、そのテンションが上がらない。エンジンがかからない。ほとんどのサラリーマンや自営業の方々も、同じくテンションが上がらない日でもちゃんと出勤しているだろう。二日酔いとか、夫婦喧嘩したとか、嫌なプレゼンが待ってるとか、テンションが上がらない日もあるだろう。それでもきちんと決まった時間に家を出て仕事をはじめる。しかし、私はそもそも仕事に行くどころか、ベッドから起きられない。食事も摂れないし、トイレにも行けない。テンションが上がらないというよりも、テンションが無いと言った方が正確かもしれない。そして、残念なことに、この波が来る予兆みたいなものは無い。朝起きると、もうすでに波に飲まれている。

 この、予兆の無さ、自分でコントロールできないところが、自分の子供が突然家出した様な様子ととても似ている。私には子供居ないから想像だけれど。自分が子供の頃だった時のことを思い出してそう感じる。

 

 魂が家出してる、良い表現だ。そこまでネガティブさが無くて、家族のドタバタのようなちょっとほっこりする様子もあって、良い。

 いったい私の魂はどこをふらふらしているのだろうか。困った。これでは職を失ってしまう。

 

 恋人が、魂の捜索願を出さなきゃね、と言って部屋の電気を消した。