明日も生きたい日記

うつ病と適応障害を患ったアヤセが明日生きたいと願うブログ

ピンクのパンツを履くと不安になる

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 みなさん、占いって信じる?

 私は信じない。信じてないけど、気にはする。気になって不安になる。繰り返すが、信じてはいない。験担ぎみたいなことはする。

 例えば、いつも通勤途中でポケモンGOをやっているが、ポケモンにバシバシ逃げられると「今日は何かミスしたりクレームくらったり、嫌なことが起こるんじゃないだろうか」と考えて不安になってしまう。

 他にも、暖色系の下着を着けている日は、不運なことや理不尽なことに多く会っているように感じる。特にピンクの下着を履く日は「今日は大丈夫だろうか」と朝からとても不安になっていた。

 弊社の業務中の服装はオフィスカジュアルだ。

 ワイシャツは、薄ピンクのものは、良いことが無い気がする。

あと、パンツ。大事なことがある日や、ミスが許されない日は、極力ベージュじゃなくて紺を履くようにしていた。

 

 以前は理由もなく漠然とした不安に覆われることが多くて、それが原因で抑うつ状態になったり、会社でソワソワしたりして精神を消耗していた。

 ある時気付いた。なんと馬鹿らしい。たかが仕事に着ていく服で一喜一憂するなんて、と。

 

 だから、暖色系の下着は全部捨てて寒色系に統一したし、ワイシャツはユニクロのスリムフィットの白に統一したし、パンツも出来るだけ暗めの色を揃えた。

 お洒落な服装でカッコよく仕事をすることには、ぶっちゃけ憧れる。でも、それよりも精神の安定が優先される。

 だから、仕事で着る服に関して、選ぶことを極力減らした。

 

 私の家のクローゼットにはセールで買ったユニクロのワイシャツがダーっと並んでいる。どれを選んでも同じ確率で幸も不幸も訪れるから、選ぶ必要がない。

 

 精神力がノミの心臓だから、出来る限りの事はやっておきたい。だって、仕事以外にもやりたいことがあるから。たかが仕事着で一喜一憂してる暇、というか心身のリソースは無い。

 

 これからも、工夫、出来る限りして、毎日の心身の負担を軽減していきたい。

7月の食費

 7月の家計簿を締めた。

 結果、食費は40,523円だった。ちなみに食費は朝ご飯と夜ご飯のみで、お昼ご飯は各自のお小遣いから拠出。

 惜しい〜〜!!!あとちょっとで3万円代に収まったのに……!!でも6月の食費55,000円と比べればだいぶ進歩ではないか?

 どうやったら食費を低く抑えられるかというチャレンジ、やってみたらかなり楽しめた。スーパーでいかに安くて良いものを探すか、その材料からどうやって美味しい料理を作るか。仕事では使わない頭を使うので、良いリフレッシュになった。

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 例えば、大根一本を98円とかで買って、それを三等分にして、炒め物、煮物、サラダと3つを作った。今までは加工済みの野菜を買うことが多かったが、やはり仕入れる量が多いと単価が下がり、それを処理するスキルも身についてきたのではないだろうか。

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 また、暑くなってきたので「サッパリしたおかず」などテーマを持って料理もしてみた。恋人から酢の物をリクエストされたが、あいにく私は酢の物が食べられないので、間を取って南蛮漬けにチャレンジしてみた。やってみると意外と簡単で、材料を切って、揚げ焼きにして、調味料と和えるだけ。この味付け技術、醤油と酢をどれくらい入れるとどんな味になるのか想像する技術も上がっているようで、なかなか美味しく仕上がった。まぁ、基本はネットで検索した美味しそうなレシピ通りに進めるのだが、そのレシピ通りピッタリの量の材料がいつも揃うわけではないので、多くなったり少なくなったりした分は自分で調整しなければならない。そこのスキルが身についてきた。

 8月はお盆があって旅行に行ったりするので、自炊する機会は7月と比べると少なくなるはずだから、ぜひ30,000円代を目指してやって行きたい。醤油以外の調味料はまだ余裕があるので、買い足すものも少なくて済みそうだ。

 貧乏だけどそれをいかに楽しむかってとても重要だと思う。だって貧乏だから。あと、それって凄く難しいことだとも思う。残念ながら私の7月のお小遣いの方は火を吹いてしまったので、こちらもお金をかけずに楽しく生活できるように色々試していきたい。

ニーズはあるのにプロダクトが開発できない

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    私は零細企業の経理として働いてる。

 一番大事な仕事は決算書を完成させることと税務署に申告することだ。日々の過ごし方は売掛金の回収や請求書の発行など、ルーチンワークをこなす感じだ。突発的な業務はあまり入ってこない。仕入れ先のアメリカさんがあーだこーだ言ってきたときにメールでやり取りするくらいだ。

 入社初期の頃は簿記すら持っていなかったので、これは借方?貸方?福利厚生費?会議費?など、いろいろと迷うこともあって、自分でググったり、顧問の会計士に相談したりしてきたけれど、簿記も取得して理解が深まったので、今はだいぶ業務自体には慣れてきた。基本は通帳なんかを見ながらテンキーで数字をひたすらに入力していくだけだから、仕事はオートパイロット状態で進んでいく。

 最近は、オートパイロット状態は良くないなと思ったので、自分の業務やこの会社がどうやったらもっと良くなるだろうと考えながらテンキーを打っている。実際いくつか思いついて、会社の偉い人と相談して、業務の効率化を図ったり、資金繰りの改善を実施したりした。

 効率化の次に思うのは、売上をどのようにして上げればよいかということだ。こういうのをいわゆるマーケティングと言うのだろうか。弊社はお金が無いのと、商流の関係で、広告宣伝費に資金を投入してもあまり効果が無い。そうすると次は、売れる商品の開発、販売ということになる。

 マーケティングの本をいくつか読んだが、基本的には、売れる商品というのはニーズとマッチしてこそ、と書いてあるものが多かった。だから自然とテンキーを打ちながらニーズについて考えることが増えた。

 私は頭が悪いので、簡単にニーズを見つけることができない。本によれば、ニーズ=困っていること、だそうなので、私の身近からまずは考えてみることにした。

 そうすると自然と病気や障害のことになる。うつ病の人が困っていることはたくさんある。何の理由もなく辛い、会社に行けない、夜眠れない。そういうもの対してはもう製薬会社が薬を開発して販売している。それを医師が処方する。でも、実際うつ病の私には今の薬では十分ではないので、もっと効果があって副作用の薬があれば欲しいなと思うのだが、そんなすごいものを開発する莫大な資金は無い。

 

 そんな中、向坂くじらさんという方が開いた「月曜日の避難所バー」というイベントを発見した。月曜日はみんな辛い。日曜の夜は、翌日の月曜日を思うと辛い。そんなニーズに合わせた企画だ。残念ながらこのイベントは今はやっていないそうなのだけれど(詳しくは向坂くじらさんのnoteを見て下さい)、とても画期的だ。私がこの「月曜日から避難所バー」を発見した時にはすでにやっていなかったので内情は分からないが、もし何人か来て、採算がとれているならば、それはもうすごいことだ。

 

 そう、商品を開発するときに「採算が取れるかどうか」これが一番大事な判断になる。どんなに人の役に立つものでも、採算が取れなければ販売元の手元資金が尽きて終わってしまう。例外もある。先ほど挙げた薬だ。これは薬自体の値段が高くても、健康保険で購入者は基本的に3割負担で買うことがき、ニーズが満たされる。

 ニーズの中には、インスタ映えしたいというニーズもあるし、生活が送れないというニーズもあるし、様々だ。タピオカミルクティーはそれ単体で採算が取れる。でも生活が送れないというニーズに対する商品は、基本的に公的資金を充当しないと採算が取れない。それに加えて商品の開発費用や、採算ラインに乗るまでの運転資金が膨大だ。商売にするのは難しい。

 

 つまり何が言いたいかというと、ひとつ今、どうしても解決したいニーズがあって、商品のイメージもできている。絶対人の役に立つことを確信している。採算ラインに乗ることもある想定できる。でも、そのニーズを満たせる商品を開発する手元現預金が無い。私は無力だ。

 だれかお金が余っている人、私に預けてくれませんか?(なんてね)

 ちなみに、その商品は私のような精神障害者ではなく、身体障害者の人のためのもの。精神障害者身体障害者も大きく括れば障害者だから、まぁ大きく括って良いのか分からないが、精神障害者の私が身体障害者の人たちのことを考える機会は結構多い。

 

 そんなことを考えながら、私は明日からもテンキーを打つのだろう。

 

病気のこと2

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 新卒うつ病罹患編は下記をご覧下さい。

ayase1988.hatenadiary.com

 

 新卒で就職した会社を辞めて実家のある東京に帰ってきた。ちょうど5年前の今日だと思う。8月の灼熱の日だった。体も心もぼろ雑巾のようだった。

 とりあえず、住民票を移したり、免許証の住所を変更したり、ハローワークへ失業保険の受給申請に行ったり、役所周りを数日間かけて行った。

 それが一通り済んで、これから先の人生をどうしようかと考えた。私はまだこの時、自分がうつ病だということが受け居られずにいた。すぐに社会に復帰して、またみんなが乗っているレールに復帰するんだ、そう考えていた。

 しかし、自分は営業に向いていないことは銀行で痛いほど分かったし、ノルマなんてもってのほかだし、しかし文系だから、転職サイトで調べてみると営業以外の職種の募集は皆無に等しかった。ハードワークも難しい体になってしまったので、残業の無い仕事を探す。しかし、どうせやるなら誰かのためになる、人の役に立てる仕事がしたかった。

 そこで思いついたのが、公務員だった。ノルマが無く、定時で帰れる(と当時は思い込んでいた)、人の役に立つ仕事、公務員しかないと思い込んでいた。銀行時代の先輩たちの中で公務員に転職する人たちが少なくなかったことも、公務員を選んだ理由のひとつになった。相変わらず心身ともに体調はおかしかったけれど、早くレールに戻らなければという焦りから、4つほどの公務員受験予備校を見て回り、3日後くらいに新宿の大手予備校に入学金を振り込んだ。今考えれば、明らかに視野狭窄に陥っていた。

 しばらくして、自宅に山のような教材とカリキュラムが届く。この時点で試験までは約半年。頑張れば十分に間に合う。スタートダッシュが肝心だ、そう思い込んで、教材を担いでほぼ毎日新宿に通った。確か一コマ90分の講義。すべて消化するには1日4講義は受講しないといけなかった。講義を受けたあとは自習室にこもって復習。もともと受験勉強は得意な方だったので、進め方に戸惑いはなかった。公務員になって、私は幸せな人生を歩んでいるんだ!と、今思えば誰に向かって言いたかったの分からないが、見返してやることを夢想していた。

 しかし、焦りとは対照的に日々悪くなる体調。体は重怠く、頭はぼんやりとしている。新宿に行けない日が少しづつ増えていく。講義が受けられないのならせめて自習を、そう思って家でテキストを開いた。しかし、翌日には勉強したことを覚えていない。恐らくこの時、脳の機能はほとんど日常生活を送るだけで精一杯だったのだと思う。勉強が進まない、しかし、試験日はどんどん近づいて来る。心が限界だった。

 公務員試験を諦めた。今の自分は受験勉強に耐えられる体と脳ではない。これで銀行に続いて2度目の敗北喫したと悔しくて泣いた。

 病院で新しい薬が処方された。最初2週間は副作用が出るけどその後体調はきっと良くなりますから、そう言われた。当時のお薬手帳を失くしてしまったので何の薬だったか分からないのだが、とにかく副作用は辛かった。重力が2倍になったんじゃないかと思うほど体は重いし、意識はもうろうとして、常に吐き気が伴った。ベッドから出ることができなかった。確かに2週間過ぎた頃から副作用が無くなり、気持ちが落ち着いてきた。辛くもないけど、楽しいや嬉しいといった感情もない。凪のような状態。

 その後は、毎日寝続けた。ベッドから起きて少し体調が良ければ、散歩をした。近所の人に無職だとバレたくなかったから、散歩は極力夜中だった。自分の体がボロボロだと公務員の受験勉強で痛感したので、とにかく回復に努めた。筋肉質だった体つきはいつしか骸骨のようになっていた。

 年が明けて2月に入ったころ、なんとなく充電されたような気がして、失業保険の給付も終わりに近づいてきたので、本格的に仕事を探すようになった。数社に履歴書を送ったり、面接をしたりした。これが面白いように通ってしまう。元銀行員という肩書、空白期間があるのにすごい威力だなと、世間が人をどうやって見るのか分かった気がした。その中から、何をやっているのか分からなけど何となく面白そうな中小企業に転職した。

 私は新規事業部に配属された。一発で身元を特定されてしまうので詳細な事業内容はかけないが、とりあえず毎月大赤字垂れ流しのこの新規プロジェクトを軌道に乗せてくれと言われた。毎日エクセルとパワーポイントを大量生産し、打ち合わせを繰り返し、エンジニアと一緒にリリース作業やデバック作業なんかも行った。残業も少なくなかったが、この時は楽しくて楽しくてしょうがなかった。

 なぜ、楽しかったのか、周りの人間に恵まれていたり、やること全てが新しくて新鮮だったりということもあるけれど、一番は薬のせいだと思う。転職活動前から、私はサインバルタという抗うつ薬を服用していた。専門的な知識はないが、テンションを無理やりハイに持ち上げる薬というのが私の今の認識だ。今の主治医から言わせればサインバルタはハッピードラッグだそうだ。

 そうやって無理やり気分を上げて仕事をしまくっていれば、うつ病から復職したての人間の体力ではそう長くは続かない。動けない日が出てきて、最初は午前休、次は当日欠勤が増えていき、それが2日、3日と長くなっていった。ついに会社に全然行けなくなった時、上司が連絡をしてきた。この時、つい自分がうつ病であることを口走ってしまった。うつ病だと周りから思われて仕事はできない。こうして私は会社を去った。

 それからまた3か月の療養生活。今度は零細企業の事務職になった。この会社の偉い人にはうつ病であることは伝えていた。他の一般の社員の人たちには伏せてもらった。仕事内容も色々と配慮してもらった。新卒で入った銀行に比べたらもう本当に小さな小さな会社だが、社内に病気の理解者がいるのはとてもありがたいことだ。

  そのころ、プライベートでも変化があった。地元の社会人サークルに通うようになった。大学時代までやっていた競技スポーツを再開した。体力づくりが目的だったが、競技なので勝つために色々考える。一生懸命プレーする。アドレナリンがどばどば出てくる。体が戦闘モードになる。生きている心地がした。しかし、家に帰って食事をとって風呂に入り、ベッドに横になっても戦闘モードがオフにならない。このころから不眠に悩まされるようになる。

 半年ほどたった頃だろうか。サークルに年が近くてプレーがとても上手な人が入ってきた。私はその人に勝てなかった。勝ちたかったから、一から競技の研究をして個人トレーニングもした。しかし、勝てなかった。悔しくて悔しくてたまらなかった。そして、そのうまい人が私のことを特に気にしていないことも気にいらなかった。私がその人の眼中なかったことが、とても惨めに感じた。

 秋ごろ、まだ夏の暑さが残る日、その日もその人に勝てなかった。そして眠れなかった。自分が競技で負け続ける姿が、自分の人生と重なっているように思えた。テンションが逆側にハイになっていた。どんどん転がり落ちていく人生、惨めで仕方がなかった。そうだ、このまま落ちていく一方なら、今日でこの辛い人生を終わらせよう。もう今以上に惨めな自分の姿を、私は見たくない。思い立ったらすんなりと行動に移せた。遺書を書いた。涙がボロボロ落ちてきたが、すらすらと両親への感謝の言葉が溢れてきた。そして実行した。

 自分の名前を母が呼ぶ声がする。気づくとフローリングの床に倒れていた。数時間気絶していたようだった。まだ外は暗かった。その日は家族そろって朝を迎えた。9時になって心療内科に行った。精神病院に入院することになった。

 半月くらいだと思う、精神病院の閉鎖病棟で過ごした。ここでに生活は今思い返せば色々と世間とはかけ離れていて面白いと思えるのでだが、当時はしんどかったし、今は書かないでおこうと思う。

 退院して、今私を見てくれている心理士を紹介される。この紹介が大きなターニングポイントになった。

 

 この続きは、、、書くのかな、、、?

 

魂が家出した

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 お風呂から上がり、ベッドの上で目を閉じ団扇で扇いでいると、恋人が、魂が抜けてるね、魂が家出しちゃったね、と言った。

 

 魂が家出した、こんな的確な言葉があったのかと驚いた。

 

 まず、魂についてだが。医師や心理士との面談では、抑うつ状態の波のことを説明するのに、何かをする気力が無い、無気力状態と表現している。相手もそれで分かってくれている。でも、なんかしっくりこないんだよな、とずっと思っていた。

 19日(金)からずっと会社を休んでいる。抑うつ状態。でも、昔に比べれば辛くはない。昔はもっと死にたい、消えて無くなりたい、というような希死念慮がモリモリ出ていた。今は、会社からの信用失墜とか、道行くサラリーマンのように働けない情けなさとか、社会にとって役立たずな自分とか、考えることはたくさんあるけれど、どこか他人事のような、良く言えば客観的な感じで捉えることが多い。一方、レジャーに関しても、どこか自分の事ではない感じがして、例えば映画を見ても、ふーん面白い作品だったな、というような。あ~~楽しかった〜〜!!とはならない。まるで評論家のような。昨日の夕食も、奮発して買ったパスタソースを使って作って、美味しかった。でも、美味しいという感動が無かった。

 そう、感動が無い。感動、心が動くという点で、魂という表現はとても的確だと思う。

 

 それから、家出した、という表現も鬱の波の状況を良く表している。

 私にとって会社は居心地の良い場所とはまだ言えず、戦いに行く場所だ(多くのサラリーマンがそうだと思う)。だから朝起きたら、よし今日も会社に行くぞ!とテンションを上げる。覚悟を持ってエンジンをかけるようなイメージだろうか。鬱の波が来ると、そのテンションが上がらない。エンジンがかからない。ほとんどのサラリーマンや自営業の方々も、同じくテンションが上がらない日でもちゃんと出勤しているだろう。二日酔いとか、夫婦喧嘩したとか、嫌なプレゼンが待ってるとか、テンションが上がらない日もあるだろう。それでもきちんと決まった時間に家を出て仕事をはじめる。しかし、私はそもそも仕事に行くどころか、ベッドから起きられない。食事も摂れないし、トイレにも行けない。テンションが上がらないというよりも、テンションが無いと言った方が正確かもしれない。そして、残念なことに、この波が来る予兆みたいなものは無い。朝起きると、もうすでに波に飲まれている。

 この、予兆の無さ、自分でコントロールできないところが、自分の子供が突然家出した様な様子ととても似ている。私には子供居ないから想像だけれど。自分が子供の頃だった時のことを思い出してそう感じる。

 

 魂が家出してる、良い表現だ。そこまでネガティブさが無くて、家族のドタバタのようなちょっとほっこりする様子もあって、良い。

 いったい私の魂はどこをふらふらしているのだろうか。困った。これでは職を失ってしまう。

 

 恋人が、魂の捜索願を出さなきゃね、と言って部屋の電気を消した。

贖罪としての家事

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我が家では平日の料理担当は私だ。洗濯は恋人がしてくれている。

こういう分担になった理由は2つある。ひとつは、私の方が家に帰るのが早いからだ。残業することは月末でない限りほぼない。先に家に帰ったのに恋人が料理を作ってくれるのを待っているのは、とても、なんというか、合理的な時間の使い方ではないし、心情的にもアンバランスだと思う。

もうひとつの理由は、私が洗濯をしたくないからだ。干してある洗濯物を取り込んで畳むのは好きだ。ごちゃごちゃしたものがキレイに整えられるのはとてもスッキリする。しかし、洗濯物を洗濯して干す工程は楽しくない。すぐに結果や成果が出ないからだ。だから私は恋人との同棲を始めた時、いち早くキッチン周辺を占拠した。その時点で家事の分担の話はキッチリしていなかったので、早い者勝ちだった。これでもし洗濯物が溜まっていても、料理してるでしょ?と言い訳ができる。なんとも意地汚い。

実際に料理を始めてみると、色々と良い発見があった。まず、料理をすること自体が楽しかった。何と表現して良いか難しいところだが、ナマモノでプラモデルを作るような、理科の実験をするような、そんな創作的な楽しさがあった。材料と道具と時間を全て頭の中でイメージして、それからバババーっと作業をして、成果物が出来上がる。頭の中の説明書通りにできると、達成感と心地よい疲労感に酔いしれることができる。

次に、料理をすると頭のオンオフの切り替スイッチが押されることだ。私は仕事とプライベートを切り分けるのが苦手で、仕事中嫌なことがあったら家の中にまで持ち込んで夜寝るまでそれが頭にこびりついてしまうことが多々ある。精神を病んでしまったのも、その切り替えが苦手なことに由来するところが大きいだろう。しかし、スーパーで買い物をして家に帰ってきて料理をすると、仕事中の人間ではなく、家でゆっくりくつろぐ人間になれるのだ。家の中にタスクがあるから、家の人間になることができる。これは精神的に効用の大きな大発見だった。

しかし、最近あまり良くない、もっと言うと危ない発見もしてしまった。私はここ1週間抑うつの波に飲み込まれて会社を休んだ。睡眠も不安定だし、気分も塞ぎがちだった。それでも、夕飯は作り続けた。1日だけ冷蔵庫の中身が空なのに全くベッドから出られない日があって、料理継続の危機に陥った日があった。なんとか料理を作らなければいけない、料理を作らないなんてことはあってはいけない、そう思ってベッドで絶叫してスーパーへ向かった。料理を作ってすぐベッドに倒れ込んだ。これは、料理の位置付けが、会社には行けなかった贖罪となっている可能性、恋人が遅くまで仕事をしているのに自分は一日中家で寝続けていることの贖罪として料理をしているのではないか、という発見だ。発見というか気づきか。

これはたぶん危ない思考で、もし仮に料理すらできない状況に陥ってしまったら、私は贖罪の機会を失ってしまう。それは恋人にも自分にも申し訳なくて申し訳なくて堪らなくなってしまうだろう。更にメンタルを悪化させてしまうはずだ。

だから、料理と贖罪を切り離す必要がある。

そして、休んでも贖罪などしなくて良いという思考回路を作る必要がある。体調が悪いから休んでるのであって、休むためには「何もしない」をすることが必要なのだ。この「何もしない」をすることはとても難しい。どうしても申し訳なさとか惨めさとかが出てきてしまう。でも、休むのだからやはり「何もしない」をしなくてはならない。もし少し元気がでたら、できることをすれば良い。休むことに対して贖罪をする必要はない。

そうでないと、本当にピンチの時、自分で自分の首を締めることになってしまう。

今気づけて良かった。危ないところだった。セーフセーフ。

しょぼい喫茶店に行ってきたよ〜〜

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 27日(土)に念願叶ってしょぼい喫茶店に行ってきた。

 本当は行こうかどうしようか迷っていたのだけれども、午前中に行った美容院の美容師の子に「行った方が良いですよー!!」と言われたので、勇気を出して行ってみた。

 到着したのはちょうど16時くらいで、17時からイベント営業だったので、しょぼ喫空間を味わえたのは1時間くらいだったのだけれども、とても良かった。

 なんと表現したら良いのだろうか、高校の放課後の部室のような、ゆっくりと優しい時間が流れていた。

 知り合いの方が先客でいらっしゃってて、半年ぶりに話せたのも運が良かった。

 

しょぼい喫茶店の本

しょぼい喫茶店の本

 

 

 書籍『しょぼい喫茶店の本』を読んで行ったので、えもいてんちょうさんに会えるかワクワクしていたが、こちらも運良く会えることができた。色々質問もさせてもらったけれども、嫌な顔ひとつせず、かと言って偉そうな感じもなく、ひとりの大人しい好青年といった感じで接して頂いた。

 本に書いてあった通り、実際に見ると店内はお世辞にも立派とは言えない内装で、什器備品も一般的なカフェや純喫茶の足元にも及ばないものが並んでいた。家庭用家電が並んでいるイメージ。でもこれが店内の優しい暖かい空気を作っているのだろう。そして、しょぼい起業の最適解なのだろう。

 

 ネタバレをしたくないので詳細は書籍が、『しょぼい喫茶店の本』には起業に至る経緯、起業後の苦労や努力やノウハウ、そしてその時々の感情がありありと書かれている。私はこの本を読んで(読み終えたのは店舗に着く2時間前だが)とても励まされた。一度社会からドロップアウトしてしまったえもいてんちょうさんとおりんさんの、生きるための、自分らしくいるための努力が、私に生きる活力と希望を与えてくれた。

 私も社会をドロップアウトしてしまった身で、なんとか復帰をしたものの、今もまたドロップアウト寸前で危ない状況だが、明日からまた生きようと思うことができた。

 

 生きようと思えることは、そのことが当たり前すぎて語られることは世間ではほとんど無いけれど、私のような障害を持っている人間にとってはとても難しいことだ。厚生労働省が3年ごとに全国の医療施設に対して行っている「患者調査」によると、平成26年医療機関を受療したうつ病躁うつ病の総患者数は112万人だそうだ。それだけの人が、生きるということに意味を見出せなかったり、生きづらさを抱えている。

 抑うつ状態だと、文字を読むのも難しいと思うけれど、もし辛い思いを抱いている人がいたら、この本を読んで欲しい。そしてお店に足を運んで欲しい。もちろん読まないで足を運んでも良いと思う。

 きっと、心が穏やかになる時間が、少しかもしれないけど、訪れるだろう。

 

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 あとコレ!フローズンレアチーズケーキ!!画期的過ぎる商品!!美味しい、オペレーション簡単!素晴らしい!!!